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令和6年 合同慰霊祭
2024年10月14日 平安典礼「合同慰霊祭」を執り行いました。
平安典礼では、1979年(昭和54年)から毎年ご遺族様と一緒に慰霊祭を執り行っております。
今年も〈セレモニーホール山形〉と〈セレモニーホール天童〉にて
無事開催されましたことをご報告させていただきます。
祭壇 故人が歩んだ人生の時を、移り行く四季へと重ね合わせて制作された祭壇花 画像左:〈セレモニーホール山形〉 画像右:セレモニーホール天童
法名簿奉呈 令和5年7月から令和6年6月までの一年間に、 私共がご葬儀のお手伝いをさせていただきました 故人様(物故者)のご芳名を記した法名簿を祭壇へとご奉呈いたしました。 ジョイン平安典礼 業務課 課長 朽木崇〈セレモニーホール天童〉
法灯点灯 名刹山寺の根本中堂には、約1200年前に比叡山延暦寺から移された 「不滅の法灯(ふめつのほうとう)」が脈々と今日まで灯されています。 その法灯を祭壇へと点灯いたしました。 ジョイン平安典礼 取締役部長 矢口政則〈セレモニーホール山形〉
慰霊祭法要 本導師 宝珠山 立石寺(山寺)清原貫主
施主追悼の辞 合同慰霊祭主催者代表 ジョイン代表取締役 武田良和〈セレモニーホール山形〉
遺族代表追悼の辞 〈セレモニーホール山形〉〈セレモニーホール天童〉 献奏 ご焼香 法話 宝珠山 立石寺(山寺)清原貫主 (中略) 近年、お葬式のやり方がだいぶ簡素になってきたました。 お葬式をにぎやかにわんわんやれって言ってるわけではございませんが、 亡くなられた時っていうのは、ご親族はじめ関係の方々がいろいろとお集まりになられて、 近所の人も集まってきて、みんなでご葬儀をやるっていうのが当然の話でありました。 ここ近年、特にコロナから以降、親族が呼ばれるっていう、 「親族」っていう概念もちょっと変わってきました。 小学生の小さなお孫さんがいらっしゃる方もおられると思いますが、 学校の道徳の時間に『私の家族』という、話をするそうです。 私の家族、『誰』と『誰』ですか?って名前をね。 都会のほうでは、お父さんとお母さん、それと兄弟だけ。 『おじさん』と『おばさん』は、付き合いがなかったら、顔を見ることもないんです。 『じいちゃん』と『ばあちゃん』の顔は見るけど、お盆とお正月の2回だけ。 あとほとんど見たことない、会ったことない。 「家族は誰」と聞くと『おじいちゃん』『おばあちゃん』よりも、 「ポチ」とか「タマ」とか、ペットの名前を書く子が多い。 これは、都会の先生が言ったんじゃないですよ。 山寺小学校の先生がそう言って、この地区でもそういうふうになりつつあります。 それを聞いて驚いたもんでした。 『家族ってどこまで』を言ってたんだろうって。 『家族』って言ってるのは、『親』と自分の『兄弟』だけではなくて、 本当は、そのちょっと先に『おじさん』とか『おばさん』がいて、 『いとこ』がいて、『はとこ』がいて、 もしかしたらその先にまだ2、3人いて・・・ 今の時代は、家族、そして親族が集まることが 貴重なんだと思います。 そしてそれが、貴重な機会だからこそ、亡くなった人への一番の供養なんじゃないかと思います。 こういう機会なので、冠婚葬祭の意義をあらためて思い直していただきたいです。 大切なあの人へ 想いを伝える 「今だから言いたいこと」「感謝の気持ち」「近況報告」など 悲しみの先に抱いた今の想いを故人様宛の手紙に綴っていただき 「ソラ色ポスト」へ投函いただきました。
おあずかりしたお手紙(合計117通)は、 慰霊祭の祭壇へ奉呈し、一緒にご供養させていただきました。 皆さまの大切な想いは、後日お焚き上げにて大切な方のもとへお届けいたします。 あのひとを笑顔で思い浮かべられる明日がくるまで、 空の彼方へ声をかける「ありがとう」「大好きでした」の言葉を届けるソラ色ポストは、 これからもホールの片隅でお手紙を待っています。 あなたのこころが晴れるまで、何度でも空へお手紙をお届けします。 夜空に輝く星が幾億年もの時を変わらず いつまでも私たちを見守るように 大切な想いが連綿と次の世代へ受け継がれてゆきますよう お祈り申し上げます。 合掌
2024年10月20日